痛みを感じるのは遺族や親戚ばかりではなく、その患者さんを看取ったチームのメンバーも同じに痛みを感じるわけですから、それぞれがサポートしあうということは大切で、チームの気持ちをサポートするための安全な環境を互いにつくっていくことが必要だと思います。ホスピスのチームだから問題がないということではなくて、どのホスピスのチームも中では問題があるというのが一般だと思います。
大切なのはチームのそれぞれがその患者さんを亡くして苦しんでいるということをお互いがよく知って、その組織のマネージメントがその環境を提供するということです。それぞれチームのメンバーには長短があるわけですから、どの領域が強いかとお互いにわかりあってサポートしあうことが大切だと思います。
家族と患者さんが悲嘆に暮れる、悲しむということなのですが、その悲しみが始まるのは診断が出されたその時からなのです。心理的な痛み、社会的な痛み、また身体的な痛みを最初からきちんとマネージして、そのプロセスを積み重ねていけば臨終のときにきちんとした環境が整理されるはずです。
シーラ・キャシディ先生が描いたマンガですが、このマンガが言わんとしていることは、私たちは最初は専門家だといってユニフォームに身を固めて行くわけです。専門家として梓を着て接する接し方には限界がありますから、それを全部脱いで患者と面と向かって話し合う必要が出てくる時期があると思います。痛みについて話し合うときに患者対ナース、患者対プロフェッショナルということではなしに、人間同士として痛みを話し合うということは、ノウハウもユニフォームも脱ぎ捨てて、裸になって話し合ってはじめて患者は自分の気持ちを打ち明けるのだろうと思います。
最後に言いたいのは、患者さんの話を聞く、患者さんと話をすることでは誰も傷つかないということです。
全身倦怠感
西立野 いまのセッションで何か質問がありますか。
−エンドステージの症状のうちで特に問題になるのが、身の置きどころのないだるさ、倦怠感だというのですが、薬をいろいろ使っても限界があって、最終的にはマッサージがいちばん気分がいいとかいうことになるのですが、それもマンパワーに限界があって最終的にはだるさのためにもう眠りたいといわれる方がいらっしゃるのですが、イギリスでは看護として何かやっていることがあるのか、アロマセラピーとカクセラピーとか、そういう関わりの中で倦怠感がある程度緩和できているような症例があるのかどうか教えていただきたいのです。
Wendy 患者さんと話をするということもそうですけれども、それ以外にたとえば音楽を聞いたりマッサージをしたりという、そこにいるという存在感のほうが患者さんにとって大事だというようなことがあります。また場合によっては患者さん本人よりも家族のほうが心配なさる場合も多いと思います。ですから家族の方々にもなぜそういうだるさが起きているのかということをきちんと説明して理解していただくことが大事だと思います。
関心がもたれているのは、痛みの治療よりも全身倦怠感の治療です。その理由は、痛み以上に目に見えないので非常に無視されているということにあります。
Andrew 分析的に患者さんの主訴が何であるか、何が問題であるかということを見ていく必要があるので、たとえば全体的な衰弱、無気力というのはなかなか緩和するのが難しいのです。疼痛とか呼吸困難の症状は緩和するのが容易であるけれども、衰弱感、無気力といったような症状はそもそも緩和するのが難しいのだと思います。
言語表現能力を推察する
日野原 AさんとBさんは訴えることは同じでも、その中味は違うのです。関西の人と関東の人が同じ“しんどい”というのでも内容はちょっと違うのです。そういう何か漠然とした定義がない言葉を皆が使っているのです。最期どうしようもないというような時に違和感を訴える、あるいは衰弱感を訴えるとか、倦怠感とかいうのですが、その患者が何を訴えるかというのはその人の言語化する能力によって非常に暖昧だったり間違った表現をすることがあります。自分の思いをどうすれば客観的に表現できるかという言語化の訓練は全然なされていないのです。
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